この世で最高の時計【東京神田・ブローチ(BROOCH)時計修理工房】
こんにちは。ブローチ時計修理工房神田店です!今日はこの世で最高の時計のお話をしたいと思います。18世紀の欧州で、高価な時計を注文し優秀な時計師たちのスポンサーになっていたのは王侯貴族でした。重要な時計を製作したり、新たな技術を開発するのには時間と費用が掛かるのですが、彼らの生活を支えるためには価格を二の次にしたスポンサーたちの理解と継続的な注文が不可欠だったのです。その中の1人がフランス革命でギロチンによって命を絶たれたかの有名な悲劇の王妃マリー・アントワネットです!彼女は1770年にオーストリアからフランスの皇太子の元に嫁いで来ましたが、4年後に皇太子はルイ16世として王位に就き、王妃に就いてからの彼女はあらゆる贅を尽くして国民から顰蹙を買いますが、時計の収集家としても有名でした。
天才時計師アブラアン–ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet)
王妃のお気に入りの時計師の1人が、そう天才時計師アブラアン–ルイ・ブレゲ(Abraham-Louis Breguet)だったのです。彼女は自分のために至高の品を作らせようと考えました。1783年に注文された要望は「金と時間に糸目は付けないから、考えられるすべての機能を備えた世界一美しい時計を作るように!」というものでした。ブレゲは自分の持てる技術をすべて盛り込もうと考え、自動巻き、音で時刻を知らせるミニッツリピーター、月による日数の違いやうるう年の調整を組み込んだ永久カレンダー、日時計との時間差を表示する均時差装置、金属寒暖計などの高度な機能を組み込む構想を立て、作業に取り掛かりました。
「マリー・アントワネット(NO.160)」
ところが、6年後の1789年に起きたフランス革命によって、王妃もブレゲも生活が一変します。王妃は時計の注文から10年目の1793年10月に処刑されてしまいます。そして協力者とみなされたブレゲは命からがら母国のスイスに帰りました。そして革命の嵐が一段落した1795年にパリに戻り時計店を再開し、再び時計作りを再開します。そしてついに1827年にこの世で最高の時計「マリー・アントワネット(NO.160)」が完成したのです!!ただ王妃がこの時計を手に取ることが無かったことなど知ると少し切ないですね。王妃が亡くなっても王妃のために時計を作り続けたブレゲにも職人魂、男気を感じますね。ただブレゲも時計の完成を前にこの世を去ってしまったようです。注文から44年、王妃の死から34年、ブレゲの死から4年が経過していました。なんとも壮大な物語ですね!歴史の裏でこのような出来事があったとはとても興味深くそして早く知ってれば世界史の授業をもっと楽しめたのになぁと思いました。
ブレゲ(Breguet)のことでお困りでしたら、オーバーホール等、多くの修理を承っております。その他時計に関するお困り事がございましたら、ブローチ時計修理工房神田店までお問い合わせください。お待ちしております。