BROOCHブローチ時計・宝石修理工房 > ブログ > 【BROOCH時計修理工房・万代シティ店】日本を代表する時計メーカー「セイコー(SEIKO)」の腕時計
スタッフブログ

こんにちは!新潟にあるBROOCH時計修理工房万代シティ店です。
ブログをご覧いただき、ありがとうございます!

本日も、電池交換ベルト交換の時計修理のご依頼を頂き、Paul SmithCITIZEN Q&QOMEGASEIKOなどの時計をお持ちいただきました。

今回ご紹介するのは、「セイコー(SEIKO)」の腕時計です。

日本の代表的な時計メーカー「セイコー(SEIKO)」
1881年、セイコーは、服部金太郎によって”服部時計店”が創業されたことから歴史が始まりました。1892年に、時計製造工場である”精工舎”を設立し、本格的な時計製造を始めます。精工舎では
時計の全てのパーツを自社で開発することで、高品質な時計の量産を可能にしました。その後も順調な成長を遂げますが、精工舎は1923年の関東大震災により工場が全焼し、生産や販売は一時的に停止してしまいます。その後、約1年で体制を建て直し、翌年1924年には、再出発の意味が込められた「SEIKO」の商標が初めて使用されました。

それから、セイコーの腕時計は、1964年の東京オリンピックで公式時計を担当するなど、世界でも最高峰の精度を誇る時計メーカーとしての地位を築き上げていきます。1969年には、世界で初めてのクォーツ式腕時計「アストロン」を発売し、機械式が主流であった腕時計の概念を覆しました。「アストロン」の発売は、時計史における革命的な出来事とされ、”クォーツショック”の原因ともなりました。


(”クォーツショック”とは、クォーツ式腕時計が誕生したことで、高性能な時計の大量生産が可能になり、さほど機械式にこだわりを持たず、正確な時間さえ分かればいいという人々がクォーツ式に流れていったことに加えて、オイルショックなどの社会的な不安要素が重なり、機械式時計をメインに製造していたスイスの時計メーカーたちが倒産や休業に追い込まれた出来事です。)

セイコーから生まれた高級時計ブランド「グランドセイコー(GRAND SEIKO)」
1960年代、セイコーは「世界に挑戦できる国産最高級の腕時計」というコンセプトのもと、初代グランドセイコーを生み出します。当時世界最高峰であったスイスの天文台コンクールに出場した後、わずか数年でトップを狙えるまでに技術力を高めたグランドセイコーは、2017年にセイコーの高級ラインという立ち位置から独立し、新たに高級時計ブランドとして生まれ変わりました。

セイコーは、優れた技術の象徴とも言われる世界有数のマニファクチュール(自社一貫製造)が誇る高い技術力のもと、素材にまでこだわる時計づくりに日々励み、時計製造の本場であるスイスのメーカー・ブランドにも引けを取らない腕時計を生み出し続けています。

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