BROOCHブローチ時計・宝石修理工房 > ブログ > 蒲田店 > 伝説とも言われるアイルトンセナとコラボモデルを持つタグホイヤー
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先日黄色い文字でSENNAと書かれた黒盤面がカッコよく印象的なタグホイヤーリンクCT2115.BA0550アイルトンセナモデル限定4098本のオーバーホール、プッシュボタン修理の受付をいたしました。

2004年のモデル以降はセナモデルをリリースしていませんでしたが、ウブロでセナモデルを出していたジャン-クロード・ビバー氏がタグホイヤーのCEOに着任した翌年2015年からまたリリースされるようになりました。スポーツ競技、特にモータースポーツシーンでは欠かせないクロノグラフウォッチ、今回はアイルトンセナとタグホイヤーについて調べました。

タグホイヤーがアイルトンセナと出会うまで
タグホイヤーリンクCT2115.BA0550アイルトンセナモデル限定4098本のうちの1本。オーバーホールと修理のご依頼品。

1860年、ドイツ系スイス人の若き時計師エドワード・ホイヤーが、後にタグ・ホイヤーとして知られるようになる会社を設立しました。

1856年、ホイヤーがまだ16歳のときに時計会社に就職した後20歳という若さで設立された同社は、当初「エドワード・ホイヤー・ウォッチメーカーズ」という社名でスタートしました。

1882年、ホイヤーは、一般的な懐中時計の形状にストップウォッチ機能を備えたクロノグラフを開発し、画期的な進歩を遂げました。

1887年に振動ピニオンを発明し、クロノグラフに革命をもたらした後、同社はストップウォッチとクロノグラフに注力するようになりました。

そして1916年、エドワード・ホイヤーは1/100秒の精度を持つ驚異的な機械式ストップウォッチを発表したのです。タグ・ホイヤーは、ストップウォッチとクロノグラフの技術に絶え間ないこだわりを持ち、数々の名作を生み出し、有名なカーレースチームやレーサーの間で人気を博し、いまでも熱狂的なファンが多くいます。

しかし1969年以降、セイコーのクオーツ時計が登場すると、世界中の伝統的な時計メーカーの売り上げに大きな影響を与え、ホイヤーは衰退の一途をたどることになります。この衰退は、ホイヤーがピアジェの子会社となる1982年まで続きました。

幸いなことに1985年になると、ホイヤーはTAGグループの支援を受けることになります。同グループがマクラーレンを所有していたことから、この支援により、ホイヤーはレース業界に再投資することができました。

そこからチャンスを繋げたタグ・ホイヤーは1988年、「音速の貴公子」と呼ばれるF1レーサー、アイルトン・セナとエンドースメント契約を結ぶことを決定しました。
その結果、セナが愛用した時計「セル」の人気が一気に高まりました。この「セル」は、その後デザインを一新し、現在では「リンク」に遺伝子が受け継がれ販売されています。

伝説となったアイルトンセナ
黄色い文字でセナの名前が刻まれている盤面が特徴的で素敵なタグホイヤーリンクアイルトンセナコラボモデル

アイルトン・セナ・ダ・シルバは20世紀を代表するドライバーであり、世界で最も権威のあるモータースポーツであるF1世界選手権を3度制覇しています。
1960年3月21日にブラジルのサンパウロで生まれたセナは、幼い頃に父親からレーシングカートを贈られたことがきっかけで、自動車への情熱を持つようになりました。
8歳の時にはすでに、父親が経営する自動車修理工場が所有するジープを操縦していたという程才能にあふれていました。

13歳でカートを始め、F1への登竜門と言われるイギリスF3に参戦し、その才気と困難に挑む情熱で数々の勝利を手にしていきました。
24歳でF1に参戦したセナが、幾つかの誘いを無視し、トールマン・チームと契約したことは、マスコミに衝撃を与えた。

トールマンは主力チームではなかったが、セナの神秘的な才能は、雨が降りしきるモナコGPで2位を獲得し、セナはトールマン初の表彰台という偉業をもたらしたのである。

1985年セナはロータスに移籍し、その2年後にマクラーレンに移籍しました。厳しい状況下でも最大の成功を収めていきます。
赤と白の日の丸をつけたシャシーとホンダエンジンの組み合わせは、日本でのF1人気を高めることに。
F1の黄金時代を築いたのはセナであると断言しても言い過ぎではないと思います。

1994年、セナはマクラーレンを離れかねてからの目標であったウィリアムズ・ルノーに移籍する。
同年5月1日、最終戦で彼らしいポールポジションを獲得したが、サンマリノ大会の3周目にコントロールを失いコースアウト。
マシンの破壊により病院に運ばれたセナは脳死状態となり34歳という若さで惜しまれながらもこの世を去ったのでした。

セナと出会ってからのタグホイヤー
内部機構にもしっかりと「TAG Heuer」の文字が刻まれている堂々とした風体になっている

タグホイヤーとセナのつながりは1991年にタグ・ホイヤーの「#dontcrackunderpressure」キャンペーンの一環としてパートナーになったのが始まりです。このコンセプトは、セナとタグ・ホイヤーのパートナーシップ、そしてセナが所属するマクラーレンのF1レースでの活躍を象徴するものでした。

タグ・ホイヤーは、マクラーレンのF1での優れたパフォーマンスからインスピレーションを得て、タグ・ホイヤーが開発したセラミック素材を使用した人気シリーズ「フォーミュラ1」を発表。
セナの早すぎる死後も、タグ・ホイヤーはアイルトン・セナにインスパイアされた限定モデルを発表し、セナを称え続けています。

セナが亡くなってから31年目の2015年、タグ・ホイヤーは彼の遺志を偲びアイルトン・セナの新モデルを発表しました。そのデザインは、タグ・ホイヤーのタイムピースの中でセナが永遠に生き続けるかのような、タイムレスな雰囲気を醸し出しています。


知るほどにロマンを感じカッコよく感じてしまうタグホイヤーの時計、アイルトンセナという人に注目しながら見るとより鮮明になりますよね。
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