こんにちは!ブローチ時計修理工房神田店です。なんで高級腕時計の代名詞といえばスイス時計なんでしょうかね?気になりますよね?私も疑問に思ってたので調べてみました。いまスイスの産業として一番イメージしやすいのは「観光」ということになりますかね。首都はどこかわかりますか?ベルンという街でこの町は観光という点ではさほどでもないようです…(首都なのに?(笑))チューリヒ、ジュネーヴという二大国際都市は旅行先としても人気です。サンモリッツのスキー、古都ルツェルンなどは、のどかな国のイメージを代表する表象です。
いっぽうでは非常に現代的な産業の国でもあります。プライベート・バンクに代表される世界の富が集まる金融、製薬・化学薬品工業の中心でもあります。そしてその中でも歴史的な産業として知られるのが時計を中心とした精密機械工業です。それには歴史的であると同時に、地勢的な問題と政治的な問題も絡んでいます。1つには冬季には雪に閉ざされる地域が多いスイスでは、冬になるとフランスやイギリスなど海外向けに、時計の部品を造るという「内職」が盛んに行なわれていました。つまりは人的資源とノウハウが蓄積されていたわけです。次に隣国フランスでの新教徒弾圧のために、時計造りの技術者や多くの商工業者がスイス、特にジュネーヴに亡命し、腕時計メーカーに育つ資本家が誕生してきたことが挙げられます。海外の下請けではなくスイス国内で最終製品にまで仕上げられる基盤が育ったのです。
ジュネーヴにはもともと地場産業であるエナメル細工の伝統があり、これらが結びついて、華麗なエナメル細工を施した美的で高性能の「ジュネーヴ時計」を生み出しました。 ジュネーヴの機械式時計が注目されるようになると、時計の部品を造ってきたジュウ渓谷やトラヴェール渓谷、ビエンヌなどスイスの他の地域でも本格的な時計が造られるようになりました。ちなみジュネーブを代表する時計ブランドはパテックフィリップやヴァシュロン・コンスタンタンなどがそうです。
こちらがパテックフィリップ
スイス腕時計は、世界一の品質を持つ最高級品
こうして近代に至るまで、スイスの時計造りはよく知られるようになりましたが、まだ世界一といえる状況には至っていませんでした。時計造りの先進国であるイギリス、フランス、そして新興の大国アメリカと並び立つ存在であったというのが、むしろ実態に合っているでしょう。 20世紀初頭では、スイスはアメリカと肩を並べる時計の生産国でしたが、生産量と、均質な品質を生み出す技術的には、いち早く工業化・大量生産化に成功したアメリカのほうが優れていたというのが事実としてあったようです。
その体制が変わったのは第二次世界大戦です。アメリカなど戦争当事国の産業は軍事用にシフトし、高級時計の生産は手薄になります。 1815年以来の永世中立国であるスイスの立場は、連合国・枢軸国を問わず、軍用時計の輸出を可能にしました。スイスの時計産業は特需に沸き返ったといってもいいでしょう。 また、空洞化しつつあった戦争当事国の国内市場にも、スイス時計は浸透していきました。
そして第二次世界大戦終結以降、スイス腕時計は、世界一の品質を持つ最高級品としての位置を確保したのです!