時計師から貴族に!?時計にまつわるエピソード①
こんにちは!ブローチ時計修理工房蒲田店です!「セビリアの理髪師」や「フィガロの結婚」で知られる劇作家ボーマルシェの元々の職業はなななんと時計師で、時計作りで貴族に成り上がったそうです!貴族に成り上がることなんて出来るんですね(笑)えいちゃんこと矢沢永吉さんもびっくりですね!なんとスケールの大きな話なんでしょうか!彼はまた、王妃マリー・アントワネットの運命を変えた3人の時計師の一人(今もあるブレゲは有名ですよね。もう一人いるんですね、今度調べてブログにします!)でもありました。
劇作家ボーマルシェ
ボーマルシェの本名は、P゠A・カロン(Caron, Pierre-Augustin:1732-99)。パリで時計師の息子として生まれました。1753年、弱冠21歳で2枚のコンマ(フランス語でヴァーギュル)型の爪を持つ「2重ヴァーギュル脱進機」を開発します。このアイデアを国王付き時計師のJ゠A・ルポートが横取りしたと科学アカデミーに訴えて勝訴します。この事件が話題となってルイ15世に謁見を許され、寵姫ポムパドゥール夫人に指輪時計を贈って宮廷内に人脈を拡大していきます。時計修理を頼まれた貴族の女性と結婚し、彼女の所領の地名からド・ボーマルシェ(de Beaumarchais)を名乗り、国王秘書官の肩書きを買って貴族の地位を得たそうです。(肩書って買えるんですね。。)専門家の見解では、彼が自らの力だけで新脱進機や指輪時計を作ったかどうかは疑問です。というのもボーマルシェのバックには共に彼の父に学んだ兄弟子で後に義兄弟となるJ゠A・レピーヌという本物の天才時計師がついていたからです。いずれにせよ、晴れて貴族の肩書きを得たボーマルシェは、レピーヌに店を譲って時計師を辞め、国王の私設外交官と称してさまざまな活動にいそしむ傍ら、戯曲を執筆していきます。そして1775年初演の「セビリアの理髪師」で一躍、人気劇作家の仲間入りを果たします。ところが、その続編となる「フィガロの結婚」は、王政批判的な内容が新国王ルイ16世の逆鱗に触れ、上演・出版禁止処分になってしまいます。そこに救いの手を差し伸べたのが、流行り物に弱い新王妃マリー・アントワネットでした。彼女の取りなしもあって、「フィガロの結婚」は 84年に公開初演します。さらに翌年には王妃自らが主演してヴェルサイユ宮殿内の劇場で「セビリアの理髪師」を上演し、ボーマルシェの反体制思想を警戒した国王の慧眼と面目を台無しにしてしまうのです。なんとも興味深いお話ですね!それにキャリアがとてつもなくユニークですね!しかもそれぞれのキャリアですごい功績を残してますし、最後は劇作家として活躍したということですもんね!ありきたりですが、ジェットコースターみたいな人生だったんでしょうね。
ブレゲ修理事例
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