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パネライ(PANERAI)

イタリアの高級時計ブランド

高度な精密機器の製造専門メーカーとして、イタリア人のジョバンニ・パネライが1860年にイタリアのフィレンツェにてブランドを開設しました。時計以外にも温度計や湿度計などの精密計器を生産しています。また、潜水装備品の生産でも有名なメーカーです。

パネライの歴史

時は1860年、ジョバンニ・パネライ氏がフィレンツェに時計店を建てました。この店は、時計の修理、販売のための工房であると同時に時計製造学校として設立されました。当時、フィレンツェで時計の製造学校はここが初だったそうです。こうして、パネライの長い歴史は始まりました。
1876年からは店舗の移動を何か所か繰り返したのち、1920年にサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の前にあるアルチヴェスコヴィレ宮に店舗を構えます。それ以降、現在まで所在地はずっとここのままです。

1916年にパネライはラジオミールの特許を申請しました。パネライは長期にわたりイタリア海軍用の照準器などの精密機器を開発・納品していました。軍の要求する性能を求めるうちに、パネライは海軍の少佐であるカルロ・コンコーニ氏の協力のもと、ラジウムを原料とした夜光塗料を開発しました。この粉末は、計器や照準器のダイヤルの数字の塗料として使われ、視認性を高めることに成功しました。この夜光を用いて作られたのがラジオミールだったのです。
ラジウム性の夜光はとにかく明るく視認性がよかったため、パネライでも一番のセールスポイントとなりました。パネライはのちに多くの特許を獲得していますが、その第一号こそこのラジオミールです。
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実際に夜光が光っているところです。インデックス自体が発行するため、暗い懐中や夜間でも時間を知ることができます。

1935年、パネライはイタリア海軍は水中車両を用いた作戦を考案し、パネライもこの作戦に役立つ精密機器を開発しました。
その役立つ精密機器とは「潜水時計」です。軍が定めた基準を満たすために、高強度の潜水時計を製作し、何度もテストしました。現存する資料によると最も良い結果を出せたのは、ロレックスのRef.2533にパネライが修正を加えたものであったそうです。

1949年にはまたもやパネライが特許を獲得します。パネライでは多種多用な発光成分を使用していました。当時、科学技術が進化したことで、これらの放射性発光物質が危険視されていました。そこで、パネライでは呼びやすい名称を付けることにし、その発光物質に「ルミノール」と名付け、特許申請をしました。その10年後、ルミノールはトリチウムを主成分としており、放射性物質の含有量が抑えられているため、無害であるということがわかりました。無害であるとわかってからは、ルミノールを多用するようになり、パネライを象徴する機能となりました。

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画像はパネライのルミノールマリーナです。大型のリューズガードを備えた特徴的なシルエットを持ちます。

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裏蓋を開けたところです。スクリュー式のため、ケースの淵にねじ溝が見られます。これにより、高い防水性を誇ります。また、機械の中心には大きなローターが見えます。このローターが回転することでゼンマイが巻かれ、香箱に力として蓄えられるのです。

1950年にパネライは一つの計画を立ち上げます。イタリア海軍の甲板将校専用のモデルとして特注のクロノグラフを設計するというものでした。モデル名を「マーレノストゥルム」といい、スモールダイアルのカウンターを二つ持っています。この時計はわずか3本しか製造されておらず、現存するのは試作品一つと撮影用の数点を残すのみです。

1972年にグイドパネライの息子であるジュゼッペ・パネライ氏が他界されました。このことをきっかけに、パネライの経営の仕方に変化が訪れます。家族事業とイタリアとの独占供給契約の管理をディノ・ゼイ氏に譲りました。彼はエンジニアでありながら、かつてイタリア海軍士官を務めていたこともある人物です。彼がCEOに任命されると、それまでの「G. パネライ&フィグリオ」という社名を「オフィチーネ パネライ」に変更しました。この名称は社名を変更する前から多くの製品に刻印されており、社名が後から追いついたといった形です。

1980年代に入るとパネライは新しいダイバーズウォッチを設計します。この時計は今までのあらゆる時計技術、ダイバー技術を統合して開発されました。レバー式リューズプロテクターと回転ベゼルを装備し、円筒容器に夜光を封入したものをインデックスとして文字盤に備えたこの時計は「ミッレメトリ」と名付けられ、幾度もの厳しいテストを受けてきました。由来はこの時計が100気圧に耐えられることからきています。

1992年世界的な影響を及ぼした深刻な経済・政治危機への対抗策として、パネライは一般向け腕時計市場への参入を決定します。一般市場に参入するとまず、3つのコレクションを発表します。「ルミノール」と「ルミノール マリーナ」、「マーレノストゥルム」クロノグラフから、シリアルナンバー入りの限定モデルが計10種類も出ました。これらは、イタリア海軍特殊潜水部隊向けに開発された代表的なモデルから発想を得たものです。

そこからもパネライはマニファクチュールを展開し国際的なに有名なブランドとなりました。現在ではラジオミールのトゥールビヨンミニッツリピーターなど様々な機構の時計を発表し活躍しています。

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